<地域の概要と学校紹介>
第二次大戦後、那覇市における人口の増加と、梅雨の時季における国場川および漫湖の氾濫等による災害対策の一つとして、潅漑工事および埋め立て工事を行った。その埋め立て地域に、住宅地や憩いの広場としての「漫湖公園」を設置し、その公園の一角に、20,930㎡の敷地を有して、那覇市立鏡原中学校が所在する。
昭和53年、当時「県都那覇市」に唯一残る小中併置校「垣花小・中学校」の中学部を分離独立させると同時に、小禄中学校区の一部を併合し、周辺の小学校からの「中学校」として創立された。昭和53年1月1日「鏡原中学校」として設立認可され、同年4月1日開校の運びとなった。平成26年度で37周年を過ぎ、38年目に入った学校である。
那覇港に近いこともあり、特に南岸の垣花集落は、米軍物資や兵員の輸送の中継基地として利用された。また、北岸那覇側は、住民の食料を始めとする生活物資や建築資材等の受け入れ港として重要な役割を果たした。そのため、人や車の往来が盛んで活気があり、県内各地方からまた本土から、大勢の人々が那覇港で働くようになり、那覇港に隣接する垣花・山下・小禄地域もその影響を強く受けるようになった。道路も整備され都市型へと変貌し、昭和29年9月、那覇市と合併し、那覇のベットタウンとして、また空の玄関である那覇空港に最も近い地域として、名実ともに戦後大きく転換した地域である。近年は大型店舗の進出もめざましく、モノレール等交通網の整備と相まって、商業地域としても活況を呈している。
また、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」いわゆる「ラムサール条約」による指定を受けた緑多い「漫湖公園」に隣接するという立地条件が、本校の教育環境をサポートしてくれる。各種の野鳥を観察することができ、那覇市に所在する学校としては「自然」に恵まれた環境の中にある。さらに、奥武山公園や陸上競技場、野球場、プール、テニスコート、武道館などの公共施設が近くにあり、地域の公民館や自治会等と共に、週休2日の子どもたちの生活を条件的に支えてくれている。子どもたちの教育についても、旧集落が米軍用地として接収されたために、他の集落に移転・居住する住民も多かったが、長い年月を経た現在でも地域の住民同志の結束は固く、相互に協力し合い、自治活動も活発であり、子弟教育に熱心な土壌が生きている地域である。母体をなす小学校は、垣花、宇栄原、小禄南、小禄(一部)の四校で、生徒数は昭和60年に千名を超えたのをピークに年次減り始め、今年度は564名でのスタートである。
校舎は埋め立て地への建築のため、ひどいところで約30センチから50センチの地盤沈下があり、接している外階段の傾きや剥離等、課題となっている。一方では、中庭にある「ホウオウボク・ガジュマル・タイワンスギ・タイワンレンギョウ」など、成長した緑濃い植物が野鳥の飛来を歓迎しており、心落ち着く空間となっている。
生徒は総じて明るく元気で人なつこい面がある。しかし、諸課題もあり、今後は職員及び保護者・地域の方々と手を携えて、英知を結集して解決に当たり、子どもたちのために力を尽くしたい。